そもそもストーリー

「赤鼻のトナカイ」が誕生した悲しき物語と日本のクリスマスケーキ文化のそもそも

赤鼻のトナカイはこうして誕生した

百貨店の販促グッズの塗り絵帳から生まれた、百貨店のコピーライターが、赤鼻のトナカイ「ルドルフ」を生み出しました。

「赤鼻のトナカイ」が誕生したのは1939年。
2001年まで営業をしていた、今はなきシカゴの百貨店・モンゴメリー・ワードから。

ホリデー・ショッピング・シーズンの際、子どもたちに塗り絵の絵本を無料で配布したことに由来します。

作者はコピーライターのロバート・L・メイ。

この仕事に取り組んだ時というのは、メイが絶望の淵に追い込まれた時期でした。
妻のエブリンを7月にがんで亡くし、幼い娘を育てるために借金で首がまわらない状態だったのです。

しかしメイは生きていかなければなりません。
こうした困難を乗り越え、彼は子どもの頃にいじめられた自身の記憶を生かし、鼻のことで仲間外れにされる小さなトナカイのキャラクター、ルドルフの物語を書き上げるのです。

参考にしたのは、1823年に発表された古典的な詩
『サンタクロースがきた(A Visit from St. Nicholas)』

赤鼻のトナカイが完成した1939年。
ルドルフの詩が載った冊子が買い物客に配られると、たちまち人気となり、その年には240万部、1946年に再発行されたときはそれを上回る360万部が配布されたのです。

しかし、例え360万部発行されたとしても、その冊子はデパートの配布物。
メイのギャランティには何の関係もありません。

ここで奇跡は起こります。
メイにビッグなプレゼントが起きるのです。

デパートの社長であるシーウェル・アベリーは1946年末、仕事に対する正当な報酬を受け取ることができるようにと、詩の権利をメイに譲渡したのです。

その後、赤鼻のトナカイ・ルドルフの誕生から10年後の1949年、メイの義理の兄弟であるジョニー・マークスが、詩に合わせて曲を製作。
1964年には、ランキン・バス・プロダクションがこの話をベースにした、ストップモーション映画を製作し、赤鼻のトナカイは世界中に知れ渡ったのでした。

クリスマスが日本で広まったのはいつ頃から?

クリスマスに子供たちが待ち焦がれる「サンタクロース」は外国のおじいさんのイメージですが、明治30年代には既に子供向けの絵本に登場。
今から100年以上も前の話で、その当時のサンタクロースはすでに
「プレゼントをたくさん抱えて子供の枕元へやって来るおじいさん」
として描かれていました。

つまり、明治30年代には日本でもクリスマスやクリスマスプレゼントの習慣が始まっていたわけなのですね。
赤鼻のトナカイよりずっと前になるのです。

そして、クリスマスのサンタと同様に、定番なのが「クリスマスケーキ」。
実は日本独自の文化ということをご存じですか?

バレンタインデーもそうですし、食を普及させるには文化から変えてしまおうというのが日本スタイルなのでしょう。

日本におけるクリスマスケーキの歴史は不二家で明治43年のことでした。
藤井林右衛門が横浜市に洋菓子店を開店したのがはじまり。

創業当時のクリスマスケーキ(復元)

まず最初に販売し始めたのが、クリスマスケーキ。
その後、ショートケーキやシュークリームを販売し、徐々に店舗を増やして行き、昭和10年には、今では不二家の定番商品ハートチョコレートが販売。

その後、時代が変わり冷蔵庫が一般の家庭にも常備されるようになると、生クリームたっぷりのケーキが人気になったのです。

そもそも、なぜイチゴを乗せたの??

平成5年のクリスマスケーキのパンフレット

赤い色は、昔から日本の文化のなかで縁起の良い色として扱われてきた歴史があります。
そのため、日本人にとって白いクリームとイチゴの赤色の組み合わせは、受け入れられやすかった背景がありました。
こうして、クリスマスケーキの仕掛け人だった不二家が、売り出したイチゴのケーキがクリスマスケーキの定番モデルになったのです。

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