日本文化の象徴として畳がありますが、この畳の大きさ1畳はなぜこのサイズなのでしょう?
実は、この大きさは織田信長が決めたと言われており、あることに便利なために、このサイズとなったのですが…
では、どんな理由で畳の基準に決めたのでしょう?
【答え】
(鉄砲や弓矢から)人が隠れるのにちょうど良い大きさだから
【解説】
畳が誕生したのは平安時代の初期。
最初は板張りの床に何枚か敷く形で普及しました。
その後時は流れ、室町時代のトレンドとなった書院造りの部屋に畳を床一面に敷き詰めた様式が現れたのですが、畳は高級品だったため、床一面に畳を敷き詰めることは困難なことでした。
しかし!!
織田信長が登場したことで、畳を藁を圧縮した芯にい草などで作った表を貼り付けて仕上げるものに改良したのです。
適度な弾力性がありながら丈夫なので、弓や鉄砲の楯として使用が可能。
さらに、同じ厚さの板より軽く持ち運びに便利だという特徴がありました。
この特徴に目をつけたのが織田信長。
「平時は見栄えがよくなるように部屋の敷物として使用し、籠城戦になったときは建物の周囲に立てて楯にする」と都合がよいと考えたのです。
その結果、安土城の天主や御殿に、一面に畳が敷き詰められました。
このときの畳の寸法が、その後の畳に受け継がれました。
信長の後に天下人になった秀吉も、新たな畳のサイズを決めるより、安土城の建築の携わった畳衆の提案した(信長が決めた)寸法がそのまま採用され、以後、江戸幕府も同じサイズを採用されたのでした。
ちなみに、「畳のヘリを踏んではいけません!」と子どもの時に言われた人も多いと思いますが、これは、元々マナーではなく、へりを歩くとその隙間を狙い、下からブスっと忍者によって刺さられ危険性があるから、注意しろ!ということでその後、マナーとして定着したのでした。