【問題】
サッカーでのルール違反で、警告を表す「レッドカード」や「イエローカード」をご存知だと思います。
実はこのカード、サッカーの歴史から見ると、比較的最近できたシステムで、それはメキシコ五輪で誕生しました。
それ以前のイングランドやイタリアのプロサッカーリーグなどでは使われておらず、メキシコ五輪において、ある不備を解消する目的のために使われ始めたのですが、
ではその目的とは何でしょう?
【答え】
【答え】
同じ言語を話さなくても伝えられるため
【解説】
サッカーというスポーツができたのは、1863年(FAの創設)。
イエローカード、レッドカードが誕生する以前は口頭で注意していたのです。
アイデアは身近なところにある。カード誕生のエピソード!
「口頭で注意」をしていた時代に開催された、1966年のFIFAワールドカップイングランド大会。
イングランド×アルゼンチンの対戦のときのこと。
サッカーの母国イングランドと、南米屈指の強豪国アルゼンチンによるこの試合は、のちに「ウェンブリーの戦争」とも呼ばれ、2人の退場者を出す荒れた試合内容でした。
イングランド代表は英語、対するアルゼンチン代表はスペイン語、その両者をさばくレフェリーはドイツ語。
事態収集には困難を極めました。
後にイギリス王室から勲章を受ける、イングランド人の「ケネス・アストン」は、この大会の、他の試合でもレフェリーを務めていた人物です。
試合が荒れた原因が「共通の言語が無いこと」であると感じていたアストンは、試合後そのことを考えながら家路につきます。
なにかいい解決策はないのだろうか…。
荒れた試合を振り返りながら自宅へ車を走らせるアストン。
信号機が青から黄、そして赤へ…。
「こ、これだっ…!!!」
信号機という何気ない日常の風景をヒントにし、言語を使わなくても色のついたカードを提示することで、選手、さらには観客にもハッキリ伝えることができるのではないかと思いついたのです。
これがきっかけとなり、1970年メキシコ大会から正式採用された
「イエローカード&レッドカード」
というルール。
さらにこの時期、世界ではテレビが白黒からカラー放送に変わりだしこともあり、色で意思表示をする黄色と赤の2枚のカードは、色を認識できるカラーテレビのおかげで、一気に世界中に広がることにつながったのです。
サッカーの母国イングランドは、イエローカードとレッドカードの母国でもあったわけです。
ちなみに…サッカーボールが黒と白になった元祖は日本だった!?
白黒サッカーボールの前と言えば、、
天然の革で作られていたこともあり、ボールの色もそのまま天然の革の色。
つまり茶色一色のボールだったのです。
古くからサッカーが盛んだったヨーロッパでは、当時から芝のピッチでプレーをするのが普通だったので、茶色いボールでも特に問題はなかったのでしょう。
ところが、我が国・日本には、昔は土のグラウンドしかありませんでした。
そこで茶色いボールを使ってプレーをすると…
ボールが見えづらいですよね?
そこで、土のピッチでも見やすいボールとして、お馴染みの白い六角形と黒い五角形を組み合わせたデザインのボールを、日本のメーカーであるモルテンが、1966年に初めて作って世に出したのでした。
その後、白黒のサッカーボールはテレビ放送と共に全世界に普及
モルテンが作った白黒のデザインのボールは、その形状が非常に理にかなった球形に近いボールであったことと、どんなピッチコンディションでも見やすい視認性の良さで、瞬く間に日本中に広まりました。
そして、この優れたボールが、1970年のメキシコW杯において、初めての公式試合球として採用され、その後の世界のサッカーボールの主流となっていったのです。
世界初のW杯公式球テルスターの誕生です。
この白黒のボールは、テレビで非常に見やすくて好評だったことから、“Television star”と名付けられました。
「放送作家・横山龍太のアイデア研究所」より引用
https://ameblo.jp/pon-ryuta/entry-12441210773.html