【問題】
朝食は、米よりパン派という人が上回る現代です…
日本人の手によってパンが作られたのは、徳川幕府の時代でした。元々信長はパンが大好き。
秀吉で禁止したパンですが、徳川幕府の時代に復活したのです。戦の際、米だったところ、ある不都合が生じるとの理由により、パンにしたのがきっかけで、その後のパンが普及したのですが・・・
では、戦で米をにした時にでる不都合とはどんなものだったのでしょう?
1842年当時のレシピ
【答え】
【答え】
煙が出ること
【解説】
【解説】
日本には、戦国時代に、鉄砲とともに伝えられたとされています。
その6年後イエズス会のフランシスコ・ザビエルらが、日本でもパン作りを始めましたが、キリスト教が禁じられてからは、長崎などで西洋人のために細々と作られていただけでした。日本で初めて、本格的にパンをつくったのは
軍学者、江川太郎左衛門。
1840年に中国で起こったアヘン戦争がきっかけでした。イギリス軍を撃退する作戦を、徳川幕府から命じられた江川氏は、戦争がリアルで起こった際に、兵士が戦場で食べる食事までシミュレートし「パン」に目をつけました。
徳川幕府は、日本にも外国軍が攻めてくることを恐れ、兵糧としてパンを作らせたのです。米は竃(かまど)で炊くときに、煙がでます。
戦の際に煙がでれば、敵に居場所をみつけられてしまうでしょう。ですがパンならばゴハンと違い、火を炊かなくても食べることができます。
また固いパンは、保存性と携帯性の面ですぐれていると考えたからでした。携帯に便利でかるく、持ち運びがしやすい事も、ポイントになったのです。
こうして1842年、本格的な製パン所が創設されました。長崎からパン職人を呼び、パンを焼かせのですが、これこそが、日本人のために徳川幕府が初めてつくった「最初のパン」。
兵糧パン誕生の瞬間でした幸い、この非常食は活用されずにすみましたが、このときパン作りの指揮をとった江川太郎左衛門は「パンの祖」として知られるようになりました。
1854年に鎖国が解かれると、横浜、神戸など港町を中心に、パン作りが広がりました。
1869年、現存するパン屋でもっとも古い「木村屋総本店」が銀座に開業。
5年後には、日本独特の「あんパン」が発売され、人気商品になりました。
「放送作家・横山龍太のアイデア研究所」より引用
https://ameblo.jp/pon-ryuta/entry-12425818411.html