スポーツ そもそもストーリー

【そもそもストーリー】パラリンピックの目的って最初は何だった??

【問題】

盛り上がりを見せる東京オリンピックと並び、第16回パラリンピック。
オリンピックの発祥はアテネと言われていますが、パラリンピックはそもそもいつからでしょう?

実はロンドンオリンピックからで1948年でした。
当初ある職業の人を対象に始められた大会だったのですが、

ではその職業とは何でしょう?

【答え】

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【答え】
軍人

【解説】

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【解説】
ストーク・マンデビル病院内で16名(男子14名・女子2名)の車いす患者(英国退役軍人)によるアーチェリー大会を開催。
これがパラリンピックの原点。

主に脊髄を損傷した兵士を対象に実施され、1952年には国際大会になりました。

1960年にイタリア共和国のローマで開催された大会が、第1回パラリンピック大会と位置づけられました。

「パラリンピック」と呼ぶようになったのは1988年のソウルパラリンピック大会から。
静止画像で大会が開催された紹介はありましたが、認知度は低かったようです。

では、そもそもパラリンピックの目的とは何だったのでしょう??

それは・・・
第二次世界対戦で負傷した兵士のリハビリテーション。

「治療・出術よりもスポーツで社会復帰」の理念で始められました。
スポーツを介してリハビリテーションを実施し負傷兵の社会復帰を目的にしていました。

当時、脊髄損傷が死の宣告とみなされていた時代でした。
第二次世界大戦前は、ほとんどの脊椎損傷者が3年以内に死亡していました。

そして彼らは死ぬまでの間、ほとんど世間から見放され、忘れられ、人生の敗者も同然でした。

そんな中、1944年、医師のルードウィッヒ・グットマンがイギリスにストーク・マンデビル病院を開業。
ナチスドイツから亡命したユダヤ人のグットマンは神経科医で、下半身不随の治療を志していました。

しかしグットマンは、これまでの神経科医たちと異なり、障害者の肉体面だけではなく精神面に注目。

脊髄損傷を負った人々の最も大きな問題が、社会から見捨てられ、ベッドに置き去りにされ、当然ながら鬱状態になることだと気がついたからだ。

そこで患者たちに何か新たなもの、つまり「希望」を持たせるために精力的に動き出した。

それまで勤務していた病院では、脊髄損傷者たちはもう二度と歩けない、死ぬしかない、と言われるのが常でした。
しかし、このセンターの看護婦たちには
「大丈夫、私たちがあなたを立てるようにしますからね」
と言われるようになった。

1945年のある日。
「杖でアイスホッケーのパックを打っているの患者」を見かけた。
グッドマンは閃いた。
「試合、スポーツ、それが我々に必要なものだ」。

ほどなくして、患者たちはダーツやアーチェリー、スヌーカーの試合をするようになった。
さらにグットマンは彼らを、車椅子ポロ(若干荒っぽくなりすぎたが)や車椅子ネットボールなど、チームプレーの試合をさせてみた。
こうした試合を通して、患者たちは自分たちがまだ人間らしさを失ってはいなかったこと、自信を失う必要はないことに気づいた。
この試みは成功だった。

やがてグットマンは、さらにもっとできることがあると考えた。
1948年7月、ロンドンオリンピックの開会式と同じ日、グットマンは16人の退役軍人男女をアーチェリーの試合で競技させた。
これが国際ストーク・マンデビル競技会の初回として知られています。

その後20年にわたり、毎年行われ競技会の種目と参加者は増え続けていった。
1952年にはオランダ退役軍人たちが参加して国際ストーク・マンデビル競技会が誕生。
1954年までに、この競技会には7種目の競技に14カ国から250人が参加することに。

そして1960年までにはストーク・マンデビルからローマに会場を移した。
現在ではそれが正式な国際パラリンピック大会の初回とみなされています。
当時は単に第9回国際ストーク・マンデビル競技会と呼ばれていました。

「放送作家・横山龍太のアイデア研究所」より引用
https://ameblo.jp/pon-ryuta/entry-12437910996.html

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